コラム vol.18「早良区に餃子の老舗」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第18回目は
アンコールに応えて、藤本俊史さん(昭和52年卒)の酒場放浪記の第二弾です。
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今年は今ある博多駅が開業して50年にあたる年で、テレビなどで騒いでいる。
それまでの博多駅は現在の地下鉄祇園駅あたりにあった。この旧博多駅の近くで屋台の餃子屋をやり始めた二十歳そこそこの乙女がいた。福岡では有名な餃子屋「鉄なべ」の元祖である。今その店は早良区の荒江店(ここが元祖本店)として美味しい餃子を食べさせてくれる。その餃子は皮がカリッとしてなかなか美味い。遠くからもわざわざ食べにくるくらいの評判の店だ。冷たいビールとアツアツの餃子が見事に美味い。つまみで食べる甘がらく炊いた手羽先も逸品。最近その元祖乙女の姿は見ないが、ご主人はいまだ元気でいる。
しかし、今回はその鉄なべ餃子の話ではない。
今から25年ほど前の話になるが、荒江四つ角近くにあった和風スナックで飲んでいたときのこと。年の頃60歳くらいの髪を振り乱した恰幅のいい初老が店に入ってきて、その餃子の名店「鉄なべ」のすぐ横に「餃子屋」を出すという話をし始めた。
「じぇじぇじぇ!」もちろん私は初対面。そのときスナックには女将と私ともう一人の客の3人しかいなかったが、餃子の老舗「鉄なべ」の隣に同じ「餃子屋」を出すなんて馬鹿じゃなかろかと、みんな反対した。しかしその初老はそれからまもなく「ラーメンと餃子の店」を出した。名前が「どんなもんじゃ」。店を出すと決めたその初老にとって、「どうせ店を出すなら、いつ出すの?」「今でしょ!」反対をし、絶対にうまくいくわけがないと言ったものの店が出たら出たでチョイと行きたくなるのも私の正直な気持ちで、直ぐ食べに行った。するとこれがまた絶品の餃子で美味い。ビールに実に合う。〆はその大将の手打ちラーメン。世の中何が正しくて何が間違っているのかわからない。今でもその店はあって、その大将はいないが、美人の娘とその婿がやっている。
ときどき名誉教授の坂口裕英先生とそこに行く。一番美味しいのが牛筋煮込み。ピリ辛で生ビールがいける。そしてくじらの刺身。焼酎がすすむ。BGMには昭和40~50年代の歌謡曲が流れる。佐良直美、キャンディーズ、尾崎紀世彦など。それがなんともいえない「お・も・て・な・し」。
しこたま昭和の雰囲気の店で私が熱燗を先生の猪口にそそぐと、先生は「民訴の井上正治「第三の波」がなかなか多数説にはならないし、平野龍一先生の過失論の予見可能性を必要とする主観説もね・・・
どちらも結果的にはそう変わらない気がしてくる」「なにが正しいのかわからない。」とどちらかというと教室で講義をされているくらいのフォルテ声で話されるものだから、周りの客が雪駄を履き、作務衣を着ているこの年寄りは何もんじゃという顔でこちらを見る。
いつもカウンターに座って先生と飲んでいるが、ある時、アラサーの美女が泣きながら店に入ってきた。大体にして男という生き物は女の涙に弱い。したがって男としてこれは捨て置けない。すかさず坂口先生はここに座りなさいと、先生の隣にその女性を座らせ、まずは一杯飲みましょうと、ビールで乾杯。するとこちらが聞きもしないのに、旦那とけんかして家を飛び出してきたと話し始めた。私は「これはまずい?何か起こらなければいいのだが・・・」ひょっとして「10倍返し!」と心配したが後ろにそのような男もおらず何もなかった。先生は「喧嘩して出てきたから、今こうやってあなたは私とビールが飲める」「よかったよかった」と仲良くなり、しばらく3人で飲んでいた。何がいいのか何が悪いのかわからない。混沌。おあとがよろしいようで。
次のコラムのつなぎとして書いたコラムです。お口汚しで申し訳ありません。