コラムvol.24「ふじもとの酒場放浪記Vol.3」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム。
第24回目のコラムは藤本俊史さん(昭和52年卒)です。
アンコールに応えて、酒場放浪記の第三弾です。

・第一弾:ふじもとの酒場放浪記
・第二弾:早良区に餃子の老舗

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夜の10時過ぎ、まだ国体道路の天神界隈は若者で賑わっていた。
今回は中央区今泉にあるライブハウス「マスカレード」の千一夜物語。狭い入口の突当りに扉があって、その扉を開けるとライブ中の音楽が突然耳に入ってきた。

この日はシルクドソレイユの福岡公演の合間(休息日)のため、その公演でドラムを叩いているダニエルが店に遊びにやってきて、ステージでドラムを打ち鳴らしていた。ダニエルはブラジル人で少しばかり日本語ができて、挨拶は無事完了した。ステージではダニエルの左後ろに、この店のオーナーの国友さんがハモンドオルガンの名手で、60歳半ばとは思えない熱いプレーを。右には福岡出身のギタリストぺぺ伊藤(日本人)。ぺぺはボサノバのユニットBrisa do Brasilとしてボーカルの鮫島直美さんと組んで活躍中。

千一夜はまだ始まらんのか!と思われているでしょうが、しばらくお待ちを。

取り敢えず私は歌い終わった鮫島さんの横に座ると、店のオーナー国友さんの奥さまが生ビールとつまみを持ってきた。夕食をすませてなかったので、「おなかすいた!」というと「ここは食べ物はないのよ、ごめんなさい」と申し訳なさそうにカウンターに引き上げた。しょうがないのでビールを空っぽの胃袋に一気に流し込んだら、これがまた気分がいい。

魯山人が「空腹は最高の食材」といったことが頭に浮かんだ。2杯目のジョッキも飲み干し、バーボンMaker’sMarkをキープして、気前よくミュージシャンにもとハイボールを注文し乾杯!いい加減酔いが回ってきたが、心地よく演奏がうまく上手に聴こえる。失敬!いや上手い人達ですが。

すると先ほど食べ物はないといった奥様が、「パンがありましたよ」とパンとチーズと美味そうなハムを運んでくれ私の前のテーブルにおいてくれた。その仕草が「しょうがない子ね。まったく」みたいな女性オーラ満開を感じさせてくれて、ほんと生きててよかった。「胃袋つかまれた!?」

そろそろ千一夜風になりそうでしょう。
で、Makers’Markもシャープな味わいで酔わせてくれて、ついでに隣に座って一緒に飲んでいた美人ボーカルも酔ってきたのか顔が薄くピンクになって色っぽくなってきた。「顔が赤くなって恥ずかしい!」といいながら再度ステージに向かいギターを手にして歌いだした。実に色っぽい。声もアルコールに濡れて一段といい。

ある建築家が「建築に限らずモノには色気がないとつまらない」といった。また別の建築家が「パリの街はエロティックだが、東京はワイセツだ!」と。

うーん、女性の色気?男性の色気?モノの色気?エロティックとワイセツ?。
今歌っている色っぽい女性の歌を聴きながら、「色気」って何だろうと思った。出されたパンとチーズをムシャつきつつ。

コラムvol.23「博多座」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第23回目は
田中百子さん(2014年卒)です。

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この記事を読んでいる方の中でどのくらいの人が「博多座」に行ったことがあるだろうか?

私が博多座に行ったのは今年に入ってから3回である。初めて行ったのは、7月である。宝塚歌劇100周年記念月組公演であった。「劇場」なので、音響が良いことは言うまでもない。「博多座」に行って驚いたことがいくつかある。

1つ目は、「劇場内での飲食可」という点である。
市民ホールなどでは劇場内飲食不可との案内があるが、博多座は飲食物の持ち込みOKなのだ。さらには、休憩時間に観客が飲んだり食べたりして出たゴミをスタッフが回収してくれるのだから驚きである。

2つ目は、スタッフに声をかけると、後方の席などでステージが観辛い人のために、座高を高くするためのクッション(座布団?)を用意してくれる点である。実際に使用してみたが、身長の低い私にはありがたく、いつもなら前の人の頭に隠れてしまうところを、快適に観劇することができた。

3つ目が、催事コーナーの充実度である。当日の演目の物販はもちろんのこと、スイーツやお茶、サンドイッチ、お弁当など、様々な店舗が並んでいるのである。ほかの劇場もそうなのかはわからないが、本当に様々なお店が並んでいて、休憩時間も楽しめてしまうくらいなのだ。そこで昼食を買う人もいれば、お土産を買う人もいる。私も、美味しい焼きドーナツに出会うことができた。

以上、3つが初めて行った時に感じたことである。

2回目は、宝塚歌劇月組の同公演の千秋楽。龍真咲・愛希れいか、この2人を中心に描き出される月組の雰囲気が好きだ。龍真咲率いるステージも催事コーナーも1回目とは違う形で楽しむことができた。もちろん、このときも同じ焼きドーナツを買ってみた(笑)。

3回目は、10月、堂本光一が座長の「Endless SHOCK」である。宝塚の、月組の舞台も素晴らしかったが、また違った演出を目の当たりにし、新しい「博多座」に出会えたような気がした。照明の使い方、体を張った演技、フライング、早替えの多さ…ジャニーズだからこそできる演出に引き込まれ、ただただ感動するばかりであった。そして、意外と役者と観客の距離が近いなと、感じることもできた。この日も催事コーナーは多くの客で賑わっていた。

同じ劇場でも演目によって違った姿を見せてくれる。それが舞台の魅力なのだろう。そして、舞台はもちろんのこと、スタッフの心配り、舞台以外にも楽しみがある、それが「博多座」の魅力なのかもしれない。今度は、歌舞伎も観てみたいと思う。これから先、どんな「博多座」に出会えるのか楽しみである。

コラムvol.22「素敵な言葉を言える人間」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第22回目は
倉 康平さん(2014年卒)です。

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部活帰りのバスの中で、外国人のお母さんが子どもを抱いて乗ってきた。

子供はバスに乗ると人がいっぱいいて驚いていたのかずっと泣いていた。

周りの人も口には出さないが少し迷惑そうな顔をしていた。

自分も部活帰りで疲れていたのもあり、少しうるさいなと思っていた。

そのお母さんは周りの人に申し訳なさそうに頭を下げ続けていた。

20分ぐらいしてその親子がバスから降りるときに運転手が「元気な赤ちゃんですね!」と笑顔で言っていた。

その言葉にそのお母さんはどれほど救われたのだろうか。

この状況でこんな素敵な言葉を言える人間がこの世界にどれほどいるのだろうか、と初めてそんなことを考えさせられた夏の日だった。

コラムvol.21「旅行と貯金のジレンマ」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第21回目は
平木法子さん(2014年卒)です。

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旅行と貯金のジレンマ

新社会人になり、大学時代から引き続いて周囲の方から“旅行”を勧められます。 曰く、年を重ねると家庭を持ったり仕事の責任者になったりと、“旅行”に必要な休みが取りづらくなるので、若いうちに行っておいた方が良いとのこと。

一方、社会人になってから度々“貯金”についてアドバイスされるようになりました。 曰く、結婚して子供が生まれると何かとお金がかかるので、結婚するつもりがあるなら、今のうちから“貯金”をしておいた方が良いとのこと。
“旅行”で素晴らしい思い出を作りたいという気持ちと、“貯金”をしてその後の苦労を減らしたいという気持ちがあり、少しの間悩みました。

そして、どちらも実現させるために色々考えた末、最近“節約”をはじめました。
お昼は必ず手作り弁当。買い物はリストを書いていき、それ以上買わない。服などはセールのときに買う…etc. “節約”してばかりだとストレスが溜まるので、たまには友人や家族と美味しい食事を食べに行きます。 でも、それ以外は“節約”。
夏には小旅行が出来そうです。

若いときにしか出来ないこと、若いときにやっておいたほうが良いことは沢山あると思うので、自分なりの方法で実行していけたらいいなと思う今日この頃でした。

コラムvol.20「ゴールデンウィークは安全運転で!」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第20回目は
川久保敬徳さん(2003年卒)です。

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はじめまして川久保と申します。
私は2003年に福岡大学法学部を卒業し、
現在は福岡市中央区舞鶴で司法書士をしております。

さて、いよいよ明日からゴールデンウイーク本番です。

お車でお出かけの方も多いと思います。

事故のないよう、お気を付けてお出掛け下さい。

運転といえば、最近よく事故を目撃します。

ここ一ヶ月で三回ほど遭遇しました。

事故を起こした方、またその巻き添えになった方、本当に気の毒だと思います。私自身、運転には気をつけ、交通違反は恥ずべきものとして日々心掛けております。もちろん免許はゴールドでございます。

ただ、この場を借りて懺悔させていただきます。

先日スピード違反で捕まってしまいました。

今でもルームミラーから見えたパトカーの回転灯が目に焼き付いて離れません。

1万8000円の罰金です。この1万8000円があれば飲みに行ってもお釣りがくるなと思うと悔やまれてなりません。欲しかった靴も買えませんでした。

ゴールデンウイークに車でお出掛けの皆様、
事故等でせっかくの連休が無駄にならぬよう、お気を付け下さい。

コラムvol.19「高度情報化社会を生きる」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第19回目は
高木憲章さん(昭和46年卒)です。

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「高度情報化社会を生きる」

健訟の弊風を矯正すべし

世の中には、やたらに訴訟を起こす「ソキチ(訴訟狂)」と呼ばれる人種がいるという。古くは平安朝期(延喜7年)に書かれたとされる伝記「参議藤原保則伝(三善清行)」によると、当時の讃岐国につき、「この国の庶民みな法律を学び、執論各々異なり、邑里彊畔ややもすれば争訟を成す」とされている一方、奥羽の地では、「善馬、良鷹を求めて雲集する権門の子弟があり、辺民愚朴にして告訴を知ることなく、ただその求めにしたがう」とされている(中田「法制史論集」3巻1157頁)。

明治期に入っても健訟の傾向はあったようで、明治14年3月の東京日日新聞の社説は、「健訟の弊風を矯正すべしと」と題して、「須らく代言人を検束し、以て我が社会より彼の白癩の如き健訟を排斥して後初めて人民をして訴を無くして止むの善果に至らしむべきなり」とまで論じている。

讃岐に生れ、讃岐で育った私から見て、特に讃岐人が訴訟好きには見えないが、小生を含めて理屈っぽい人間が多いのは確かである。全国で最も面積が小さく、人口密度が高いなかで、肩を触れ合いながら生活をしていることが影響しているのかもしれない。

法律は生きている

訴訟好きには金がなく、医者好きには健康がない、といわれる。確かに不必要に訴訟を起こすことは好ましくなく、訴訟が訴訟を生むような事態は避けるべきであろう。しかし、毎日のように、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて、内外の政治、経済、社会のあり余る法律が関連する情報に接し、それらを適切に取捨選択して自らの生活に生かしてゆかなければならない私たちにとって、それらの法律的な問題に対する対応について、すべては誰かのやることであり、自分たちは社会の変化に流され、決められた法に規制されるだけで良いのだと考えるとしたら、それはもはや人生の敗北に近い。

法律は人間が作ったものであり、人間と共に生きてゆくものなのである。したがって、私たちが社会の変化に対応して生き方を変えてゆくように、法律も常に社会の変化に対応した適切な内容のものに変えてゆかなければならない。法律は生きているのである。私たちは日々発生する複雑な法律問題や裁判例にも積極的に関心を持ち、主体的にかかわって行かなければならない。

かって、数年間にわたって、一般市民、市議会議員の方々をメンバーとする憲法学習塾を主催したことがある。ちょうど行政手続法が施行されたころであり、少しでも市民の方々に憲法や行政法の考え方を理解していただきたいと考えてのことであった。最初は多かった参加者も年が経つにつれて減少し、3年目には5~6人になったが、それでも数年前まで続けることができた。今では市民参加型の新たな条例等もでき、努力は無駄ではなかったように思う。

次々と提起される憲法問題

選挙制度の改革、国家機密の保護等につづいて、「集団的自衛権」の問題が検討されている。言うまでもないことであるが、9条の問題を含めて、私は憲法全体の理念を忘れてはならないと考えている。また、国連憲章において日本という国がどのように位置づけられているかも忘れてはならない。

この憲法の出自の問題がどうであるにせよ、この憲法が我々に与えた国民主権主義、基本的人権の尊重、平和主義の原則の価値を否定する者はいないであろう。不当な男尊女卑の制度に絶望していた女性たちにとって、法の下の平等を定めたこの憲法は画期的な意味を持っていたに違いない。基本的人権の尊重、個人の尊重も、溌剌として自己主張することができる伸び伸びとした日本人を育てることに成功した。言論、表現の自由も、民主政治の基礎を築き、豊かな文化を育んだ。この憲法が戦後日本の復興、繁栄に果たした功績は大であり、決してお疲れ様日本国憲法と、ご退場いただくわけにはゆかないであろう。

しかし、もちろん憲法も法であり、全ての規定が恒久のものではない。また、人間も弱いものである。個人の尊重が過ぎると、家族制度の崩壊を招く。核家族化は、その一例であろう。個人が尊重されるからといって、自分以外の家族に対する倫理的・法的義務を忘れて良いわけではない。現在の憲法の規定には、権利と義務の関係において、権利の方向に偏りすぎた傾向があるのも確かである。十分に検討し、基本的な理念を維持したうえで改正することも必要であろう。

法科大学院への期待

高度情報化社会は世界を一市場化し、実質的な国境を無くしてしまう。知的財産などの情報財は国境を越えて簡単に流通し、多くの国で権利侵害を引き起こす。また、侵害領域は国家主権が及ぶ領土、領域内に限られず、サイバースペースという法域外でも発生する。これらをどのように規制するのか、新たな法規制が求められている。

これからの法律家には、高いレベルのIT技術が求められる。しかし、それを現在の大学法学部での教育に期待するのは無理であり、どうしても法科大学院の教育に期待せざるを得ない。しかし、現状では、それも難しいのかもしれない。京都の法科大学院に通っていた姪が昨年から弁護士業務を始めたが労働法を専門にするという。結局、知財業務は選択しなかった。

本学法科大学院の司法試験合格者は法学部以外の学部出身が多いと聞いている。また図書館は、午前7時から午後12時まで開かれているとのこと、設備も充実しているようで羨ましい限りである。素晴らしい中央図書館と共に有効に利用して、思う存分勉強し、是非とも新しい法分野に挑戦して欲しいものである。

コラム vol.18「早良区に餃子の老舗」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第18回目は
アンコールに応えて、藤本俊史さん(昭和52年卒)の酒場放浪記の第二弾です。

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今年は今ある博多駅が開業して50年にあたる年で、テレビなどで騒いでいる。
それまでの博多駅は現在の地下鉄祇園駅あたりにあった。この旧博多駅の近くで屋台の餃子屋をやり始めた二十歳そこそこの乙女がいた。福岡では有名な餃子屋「鉄なべ」の元祖である。今その店は早良区の荒江店(ここが元祖本店)として美味しい餃子を食べさせてくれる。その餃子は皮がカリッとしてなかなか美味い。遠くからもわざわざ食べにくるくらいの評判の店だ。冷たいビールとアツアツの餃子が見事に美味い。つまみで食べる甘がらく炊いた手羽先も逸品。最近その元祖乙女の姿は見ないが、ご主人はいまだ元気でいる。
しかし、今回はその鉄なべ餃子の話ではない。

今から25年ほど前の話になるが、荒江四つ角近くにあった和風スナックで飲んでいたときのこと。年の頃60歳くらいの髪を振り乱した恰幅のいい初老が店に入ってきて、その餃子の名店「鉄なべ」のすぐ横に「餃子屋」を出すという話をし始めた。
「じぇじぇじぇ!」もちろん私は初対面。そのときスナックには女将と私ともう一人の客の3人しかいなかったが、餃子の老舗「鉄なべ」の隣に同じ「餃子屋」を出すなんて馬鹿じゃなかろかと、みんな反対した。しかしその初老はそれからまもなく「ラーメンと餃子の店」を出した。名前が「どんなもんじゃ」。店を出すと決めたその初老にとって、「どうせ店を出すなら、いつ出すの?」「今でしょ!」反対をし、絶対にうまくいくわけがないと言ったものの店が出たら出たでチョイと行きたくなるのも私の正直な気持ちで、直ぐ食べに行った。するとこれがまた絶品の餃子で美味い。ビールに実に合う。〆はその大将の手打ちラーメン。世の中何が正しくて何が間違っているのかわからない。今でもその店はあって、その大将はいないが、美人の娘とその婿がやっている。

ときどき名誉教授の坂口裕英先生とそこに行く。一番美味しいのが牛筋煮込み。ピリ辛で生ビールがいける。そしてくじらの刺身。焼酎がすすむ。BGMには昭和40~50年代の歌謡曲が流れる。佐良直美、キャンディーズ、尾崎紀世彦など。それがなんともいえない「お・も・て・な・し」。
しこたま昭和の雰囲気の店で私が熱燗を先生の猪口にそそぐと、先生は「民訴の井上正治「第三の波」がなかなか多数説にはならないし、平野龍一先生の過失論の予見可能性を必要とする主観説もね・・・
どちらも結果的にはそう変わらない気がしてくる」「なにが正しいのかわからない。」とどちらかというと教室で講義をされているくらいのフォルテ声で話されるものだから、周りの客が雪駄を履き、作務衣を着ているこの年寄りは何もんじゃという顔でこちらを見る。

いつもカウンターに座って先生と飲んでいるが、ある時、アラサーの美女が泣きながら店に入ってきた。大体にして男という生き物は女の涙に弱い。したがって男としてこれは捨て置けない。すかさず坂口先生はここに座りなさいと、先生の隣にその女性を座らせ、まずは一杯飲みましょうと、ビールで乾杯。するとこちらが聞きもしないのに、旦那とけんかして家を飛び出してきたと話し始めた。私は「これはまずい?何か起こらなければいいのだが・・・」ひょっとして「10倍返し!」と心配したが後ろにそのような男もおらず何もなかった。先生は「喧嘩して出てきたから、今こうやってあなたは私とビールが飲める」「よかったよかった」と仲良くなり、しばらく3人で飲んでいた。何がいいのか何が悪いのかわからない。混沌。おあとがよろしいようで。

次のコラムのつなぎとして書いたコラムです。お口汚しで申し訳ありません。

コラム vol.17「断捨離で得たもの」


秋の三連休。皆様いかがお過ごしでしょうか?
福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラムも、第17回目を迎えます。
今回のコラムは、原 奏絵さん(平成24年卒)です。

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「断捨離で得たもの」

近年耳にするようになった断捨離(だんしゃり)という言葉をご存知ですか?

2010年の流行語にも選ばれた言葉で、入ってくる不要なものを断ち、もっている不要なものを捨て、物への執着から離れるという意味があります。

この言葉を知って私も断捨離を実践してみました。
まずは書類や書籍などの整理からはじめました。
最初に手を付けた、ファッション雑誌は流行の移り変わりが激しく、いつまでも取っておくものではないなと思い、古いものは捨てました。そして、いつか勉強しようと思っていた資格の問題集なども今の自分には必要ないものなので手放すことができました。
しかし、大学時代に勉強した書類や教科書は思い入れがあり、自分の財産だと考えているので今でも取っています。
いま私は社会人1年目で、している仕事は法律に直接的に関わるものではありませんが、大学4年間で培った法的思考力は日常生活においても仕事においても役立っていると感じます。

次に洋服の整理です。
もっている服をまんべんなく着るのが理想だと思うのですが、私はそうはいかずいつも着るものは決まっていて全体の3、4割くらいは出番のない服でした。出番のない服とは、いつか着るかもしれないと思って取っている服やセールで安くなった勢いで買って結局着なかった服たちのことです。
断捨離の考えでは、いつか使うかもしれないという「いつか」は来ないと考えるので私の考えている「いつか」も来ないと考え、いらないものはリサイクルショップに持っていき手放すことにしました。その際、本当にそれを必要としている人に使ってもらえるならと思い手放すことに抵抗はありませんでした。むしろ、片付けをした後の必要なものだけしかないクローゼットを見てすっきりした気持ちになり、片付いている状態というのは人の心も変えてしまうのかと感動しました。
そして、改めて自分の持っているものを見直してみると意外といらないものがあり、いままでいらないもので占められていた場所がもったいなかったなと考えさせられました。

あくまでも断捨離とは捨てることが目的ではなく、必要なものだけを残すことで1つ1つの物を大切にできるようになり、あらゆることの能率を上げることができるようになることを目的としているので必要だと感じる物まで無理に捨てる必要はありません。

断捨離を行った今では部屋に観葉植物を置く余裕も生まれて、すっきりとした部屋の状態を保つことが楽しくなってきたのでこの感覚を多くの人に味わってもらいたいと思い、このような内容のコラムを書きました。

1日10分ずつでもいいので身の回りを片付けて気持ちの良い時間を過ごしてみてください。

コラム vol.16「本への扉」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム。
第16回目のコラムは、江頭 直人さん(平成25年卒)です。

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 大学に入学してから1ヶ月半ほどのことです。電車に乗り、いつもと同じように音楽を聴きながら通学していた私はその慣習に飽きていました。何か他にできることはないか、と周りを見ると老若男女問わず本を読んでいる姿が目に付きました。片道1時間の通学路、無駄にする手はありません。この時間を生かして私は読書をすることにしました。

 しかし、です。それまで年に1、2冊程度しか本を読む習慣はなかった私です。最初は松本清張や赤川次郎などのミステリを編纂した短編集から読み始めました。当時読書初心者の私には難しい作品も収録されていましたが、本を読む楽しさを知るのには十分でした。最初に手に取ったのがミステリであったことから、初めは国内ミステリやエンターテイメント小説を読み漁っていましたが、しだいに国内外今昔問わず文学作品や詩集やエッセイ、ひいてはSFやホラー小説なんかも読みました。

 小説とはいえ本を読んでいると文章を読み、理解する能力は自ずと身に付きます。興味深い文章や物語は精神面を知識で満たしてくれるし、学習面においては判旨を読む際に小説を読むときと同じように登場人物や事実確認を頭の中で構想し、新書本を読んで論ずる課題や意見をまとめるレポートの課題も苦にならず、さらには課目によってはストレートに読書感想文の課題なんかもあり、この慣習はその都度大変役に立ちました。読書の慣習を身に付けることは卒業生の皆さんだけならず、在校生の皆さんにも是非おすすめします。

 大学を卒業した現在も私は常に何かしらの本を読むようにしており、鞄の中にはいつも本が入っています。それは小説だったり、新書本だったりですが、いずれにしても本によって私は一歩立ち止まり思考を整理することができ、自らの意見を持つことができるのです。

 他人の意見を頼ってしまいがちな現代社会。例えばそこにはびこるネット文化。ネットに蔓延するレビューや口コミはあくまでも他人の意見です。アメリカの小説家レイ・ブラッドベリは著書『華氏451度』に本を読むことは自発的な行動であることから習慣的に考える能力を得るものである、と本が禁止された世界を舞台に説いています。他人の意見は参考程度にはすれど、そのまま自分の意見にしては考えてないことと変わりません。このような社会だからこそきちんと考え、自分の意見を持っていたいものです。

 どうでしょう。書店や、もしくは図書館に足を運んで、気になった本を1冊手にとってみてはいかがですか?

コラム vol.15「九州歩き旅」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム。
第15回目のコラムは、昨年卒業したばかりの 福島 優さん(平成25年卒)です。

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大学時代、どんなことで心がワクワクドキドキ踊りましたか?

私は刑法の勉強をしているときと歩いているときでした。

私は東京都出身で中高一貫校に通っていました。中学生のとき「探険部」という珍しい部活に入り、中1の夏に先輩方に言われるがままに種子島へ連れて行かれ約100キロの島縦断の道のりを歩かされました。このとき私はきつくて泣きながら「帰ったら部活を辞めてやる!」と思いながら炎天下の中歩いていました。しかし目的地である鉄砲伝来の島最南端にたどり着くと今までの疲れは忘れ、「100キロ歩いた!」という達成感で心が満たされておりました。

心躍った瞬間です。

私の人生はここで180度変わりました。その後中2に岡山~鳥取、中3は青森県野辺地~大間崎、高1は天草諸島、高2に北海道尻別川、と探険部のおかげで全国津々浦々歩き旅をすることができ、この体験を通して自分の知らない土地に行く楽しさ、物事を一歩一歩続けることの大切さを学びました。

大学生になり、東京から福岡大学にきたのも、自分の知らない世界に興味がわき九州を体験してみたいと思ったからです。そして刑法の勉強という大学内での目標とは別に「福岡を起点に九州県庁所在地を歩いて行く!」という目標を掲げました。

大学から自分で計画を立て自分で準備して自分で歩かなければいけません。ザックにテント、寝袋、バーナー、コッヘル等々詰めて、10キロ以上の荷物を担いで200キロ、300キロの道のりを歩きます。

歩き旅で一番楽しいのは、全身で自然を感じられること、そして地域の方々や文化に触れあえることです。例えば田んぼ道や山腹を歩いているとき、そこに流れる空気を身体で鼻で口で感じられる。知らない土地に行ったとき地元のことをいろいろ教えてもらい、地域の特産物を頂く。自分の足で出向いて今いる場所を楽しめるのが、歩き旅の醍醐味です。

大学3年生の春休み、ついに鹿児島県佐多岬まで到達!これで佐賀・熊本・長崎・大分・宮崎・鹿児島と九州県庁所在地を制覇できたので、次なる目標は「九州自然歩道」の完歩です!

九州自然歩道とは、皿倉山と佐多岬結ぶ道のりで、全長約3000キロ。今までの歩き旅と違うのは、縦走もコースに含まれていること。福岡県でいうと福智山、英彦山、脊振山など名だたる山の山頂も通過ルートとして指定されているので、歩くことだけでなく、登山経験も問われてくる歩道です。

今年のGWに私は4日かけて皿倉山から福智山、平尾台を通り英彦山までの約92キロを歩いてきました。今年の目標として休みを利用して「福岡県内のコースを歩くこと」に決め、日々を一歩一歩進んでおります。

九州自然歩道フォーラム http://www.kltf.info/